日本の医療行政

日本の医療行政

健康はかけがえのない財産である。いつの世も人々は健康を願ってきたが、今日ほど健康への関
心が高まった時代はないであろう。健康への志向が強まるのに伴い、健康を保障する医療へのまな
ざしもかつてない厳しさをおびている。ことに近年、大病院志向に拍車がかかり、病院の廊下や待
合い室はどこも外来患者であふれかえっている。大方の人々が病院や診療所で産声をあげ、やはり
病院の一室でその生涯を閉じる。そのため、わが国の国民医療費は高騰の一途をたどっている。

 

日本人はまた、大の薬好きである。日々大量の薬剤が投与され、薬価差益や薬剤費は膨大な利益を生み出している。いつの間にか製薬業は巨大産業と化した。厚生省による院外処方の推進によって、病院の周囲には多数の調剤薬局が門前市をなしている。

 

日本はいまや医療大国ともいうべき様相を呈している。しかし、諸外国とくらべ、日本の医療費
がとりわけ高いというわけではない。医療費を対GDP比でみてみると、先進国の中ではむしろ少
ない部類に属すると言えよう。ドイツやフランスの医療費は日本を上回っており、アメリカに至っ
ては日本の三倍に達している。

 

概して医療については、情報が氾濫しているわりに、その実態が必ずしも正確に伝えられていな
い。各種の調査からは、国民の医療に対する不満の大きさがうかがわれる。三時間待ちの三分診療
という言葉が何よりそれを象徴している。だが、日本ほど医療制度が公平で平等な国はない。医療
保険が社会各層にくまなくゆきわたり、誰もが自由に病院や医師を選択できる国は少ないであろう。
戦前、わが国は多くのことをドイツから学び、戦後は多くの点でアメリカを模倣した。しかし、昭
和三十六年に達成された国民皆保険は、もはや日本ではあたりまえでも、ドイツ、アメリカでは未
だ実現されていない。

 

だが、少子・高齢化社会の到来によって、日本でも質的変化をめざした新たな医療改革が叫ばれ
始めている。問題なのは医療だけではない。今日、医療を支える医療行政のあり方が厳しく問われ
ている。臓器移植や遺伝子治療といった先端医療の導入、さらには0‐157、MRSAなど、 一
旦は撲滅したかにみえた感染症の新たな拡大によって、医療環境は大きく変貌しつつある。医療行
政も重大な挑戦を受けていると言わねばならない。

 

国際的にみても、日本の医療行政は異色である。世界に冠たる医療保険制度は国自身が有力な保険者となり、保険料と一般財源からの公的資金投入によってその財政が賄われている。 一方、医療サービスの供給は開業医を中心に民間の医療機関が主軸となっている。こうした公的財政と私的供給の構造は日本独自の仕組みと言うことができる。

 

日本の医療機関では、治療の対価である診療報酬も薬剤の点数も一律化され、政府の管理下に置かれている。誤解を恐れずに言えば、日本の医療制度は実に統制的であり、医療行政は社会主義的である。診療報酬や薬価の決定には基本的に市場原理が働かない。

 

わが国のこうした特異な医療構造は、長きにわたる歴史の産物である。日本の医療行政の起源は
明治初年にさかのぼる。そもそも、わが国の医療行政を生み出す契機となったのは、天然痘、コン
ラといった伝染病の蔓延であった。とりわけコンラは幕末、維新の日本を急襲し、甚大な被害をも
たらした。未だ病原菌が発見されず、有効な治療法が確立していなかったため、明治政府はやむな
く警察力を動員して感染者を避病院に隔離し、交通を遮断して感染の拡大防止に全力をあげた。すなわち、日本の医療行政は衛生行政としてスタートしたのである。

 

一方、医療の担い手である医師は、聖職者や法律家同様、古典的なプロフェッション(専門職)
である。医療技術は高度の専門性を有し、その内容は一般人には理解しがたい。にもかかわらず医
療行為は人の生死を左右する。そこで医療の質を保証するために、国家が資格試験や開業免許制を施行する必要性が生まれた。

 

明治維新の頃には、依然漢方医学が主流であり、無規制下に不当な医療行為がまかり通っていた。江戸時代まで医師は薬師と呼ばれ、診療代ではなく主として薬代を収入源としていた。効能の定かでない薬を高く売りつけ、堕胎によって暴利を貪る悪徳医師が後を絶たなかった。新政府はこうし
た医療の荒廃を憂慮し、明治七年八月、わが国最初の体系的医事法である「医制」を制定して、医業や医薬品の取締りに乗り出した。

 

医療行政は文部省医務局から内務省衛生局へと引き継がれ、長与専斎、後藤新平といった有能な指導者を得て飛躍的に発展した。長与は地方自治と医学の啓蒙に腐心し、後藤はドイツを模範に疾病保険の導入を考案した。大正十一年には健康保険法が制定され、昭和初期には国民健康保険が普及した。戦時体制下には大政翼賛会により国民皆保険運動が推進された。終戦後、占領政策の一環としてGHQによる医療改革が進められたが、十分な成果をあげるに至らず、戦前来の医療構造が温存された。

 

戦後、伝染病から成人病への疾病構造の変化を背景に医療保険制度が定着し、自由開業医制の伝統の上に日本医師会が組織化され、著しく政治力を増した。医療費を規定する診療報酬は、厚生省と日本医師会の交渉により決定されるルールが設けられた。こうした医療行政をめぐる歴史的経緯については、これまで必ずしも十分に明らかにされることがなかった。

 

そこで本書は、わが国の医療行政がとりわけ歴史的所産である点に鑑み、内務省から厚生省に至
る医療行政の展開過程を多角的に追うとともに、その課題を提示しようとするものである。

 

医療の現場